初飛行 : 1964年3月6日 (Ye-155R1)
運用開始 : 1970年
ミグ設計局が開発した迎撃戦闘機
世界で唯一マッハ3以上の速度が出る世界最速の戦闘機(SR-71は偵察機なので除外)
1950年代、アメリカ合衆国が
B-58、
XB-70、SR-71 などの超音速機の開発を開始したため
ソ連のミグ設計局は、こうした侵入機に対する迎撃戦闘機の開発の必要に迫られたが
ミグはこれまでにも超音速迎撃戦闘機の試作機の開発実績が多数あり
その研究成果として、試作機のYe-150 と Ye-152は完成の域に達していたため
長距離の捜索レーダーと長射程空対空ミサイルの開発も急ぎ
その結果、1961年に試作機のYe-155が完成し、迎撃戦闘機型のYe-155P、高速偵察機型のYe-155R、巡航ミサイル母機型のYe-155Nが開発された
巡航ミサイル母機型のYe-155N以外は、後にMiG-25として制式化され部隊配備は1970年より開始された
MiG-25のその最高速度やノズル、空気取入口のサイズからアメリカはターボファンエンジンを搭載した
航続距離の長い非常に高性能な機体であると予測し
当時、アメリカが使用していた戦闘機は機動性が悪いものが多く MiG-25 に対抗出来る物はないとして危機感を覚え
機動性に優れた
F-15を開発する事となった
しかし MiG-25の実際の性能は1976年のベレンコ中尉亡命事件によって明らかになり
当時 西側諸国が予想していた以下のような予想は覆えされる事となった
・マッハ3 での飛行に耐えるためにチタニウムを大量に使用している
・最高速度と機動性の高い次世代戦闘機である
・ターボファンエンジンやターボラムジェットを採用している
・電子機器はハイテクを駆使している
しかしながら、MiG-25は最高速度が非常に速く、イスラエルのレーダーにマッハ3.2、中東方面ではマッハ3.4の飛行速度が記録されており
8分程度が限界であるがマッハ3以上での飛行は可能となっており
電子機器も先進性よりも信頼性を重視し真空管を多く使用している
反面、レーダーの出力は600kwと極めて大きいものであり、相手方の妨害電波に打ち勝って有効であったと伝えられている
他にも、半導体回路を使用すると核爆発の際に発生する電磁パルスで回路が焼損するおそれがあるため使用しなかったとの説もあり
見方を変えれば、迎撃を専門とし比較的安価で量産可能な戦闘機を作ろうとしたと言える
また、このような「過大評価」をした要因として
アメリカ空軍が予算を獲得せんがために、ソ連の脅威を宣伝した結果とも言われており
その証拠に、当時アメリカもマッハ 3 級の戦闘機・爆撃機を試作していた為、ある程度の運動性の予測が出来ていたはず
そして、実際にアメリカ空軍は「高速で運動性が高い」 MiG-25の脅威を訴えながらも
F-15に対して速度性能の要求を緩和し機動性を高めており、速度性能と運動性能の両立には熱心ではなかった
騒動の元となったベレンコ中尉は取り調べの後、希望通りアメリカへ亡命し
MiG-25はアメリカによって徹底的に調べられたあとソ連に返還されている
ソ連ではこの事件によって自国の防空システムが西側に露見してしまったのではないかと懸念し、MiG-25の搭載機材の一新を図ることとなった
冷戦後はMiG-25の運用上最大の欠点として、最高速度を重視して設計された機体のデリケートさと
機体やエンジンの整備の複雑さ、燃料消費量の多さなど、運用効率の悪さから冷戦終結後は冷遇された
っが、MiG-25用のアルコールは極めて純度が高く飲酒するととても美味で
MiG-25は300Lものアルコールを冷却用に搭載したため、ロシアでは『アルコール運搬機』を意味する(Спирт-Воз)と言う愛称が用いられていた