初飛行 : 1969年
運用開始 : 1970年
ソビエト初の攻撃ヘリコプターとして開発されたヘリコプターで
「攻撃ヘリコプター」としては異例の大型機を誇っている
強力な武装でヘリボーン任務を行うことを想定して開発されたため
「攻撃ヘリコプター」としては異例の大型機であったが
戦闘と輸送という二つの役割を一機に担わせる設計は、結果的に悪い折衷になってしまったことから
後継機である
Mi-28や
Ka-50はより対地攻撃に特化したものとなった
しかし、1978年以来ソビエト連邦国内で約2000機が製造され、30ヶ国以上に約600機が輸出されている
Mi-24は、近接航空支援から対戦車戦闘、兵員や物資の輸送まで幅広くこなす事が可能で
実戦での運用の結果、低空を飛行することが多いことから攻撃を受けやすいことへの対策として
作戦時には2機1組もしくはグループで行動し、多方向から同時に攻撃するという戦術が用いられている
既知の問題として、Mi-24Aが1969年のテストフライトで、機体を傾けた急な旋回中に揚力を失って
大きく横揺れすることが判明したが、その後の改良を経てもこれは完全には解決していない
もう一つ、激しい機動を行った際に、高荷重によりメインローターが機体の尾部を打つ可能性があった
また、最大限に積載した場合、垂直に上昇することができず
転移揚力を利用した短距離の滑走をしながら離陸しなければならない
大型で大重量の機体は、純粋な戦闘任務に用いるには持久性と機動性を削ぐことになり
また、兵員室を配置する都合上機体上部に並列に配置されたエンジンは
一発の被弾で両方のエンジンが破壊される可能性を高め、生存性に大きな問題を残すこととなった
Mi-24D以降の機体は、縦列複座のタンデム形状のコクピットと
その上部にある横に2つ並んだ空気取り入れ口(エア・インテーク)が特徴的である
前述のように中央部に兵員室があり、完全武装した兵員8名を搭乗させることができる
機体の中腹にある短翼(スタブウィング)には、兵器の搭載装置がそれぞれ3基ずつあり、物資を吊り下げることもできる
防御能力に不安のあったMi-24Aの反省から、Mi-24D以降の型は非常に重装甲な機体構造となっており
チタニウム製のローターは、12.7 mm弾の直撃にも耐えることができる
またNBC兵器(核、生物、化学)戦に備えて、コクピットは与圧されている